milan米兰体育
SPECIAL
FURUKAWAMUSEUM
「らしさ」を伝えるエピソード
milan米兰体育では、「正々堂々」「革新」「本質追究」「主体・迅速」「共創」という5つのCoreValueを、社内共通の価値観として掲げ、「言いたいことを言い合える」、milan米兰体育一人ひとりが主役になって活躍できる環境を作り続けてきました。FURUKAWA MUSEUMでは、そんなmilan米兰体育の文化・社風を伝える12のエピソードをご紹介させていmilan米兰体育きます。
世界初・日本初の製品を多く生み出してきたmilan米兰体育。常に新しいものを生み出す挑戦のDNAは、100年以上前から生まれていました。明治36年、第2代本所鎔銅所所長の山口喜三郎は日光分銅所計画の推進計画に着手。この計画の技術的特徴は、日本初の電気分銅法である、シーリス法の導入でした。山口は、当時、ほとんどの分銅工場が導入していたマルチブル法に比べ、シーリス法は品質面・経済面において優れた分銅法だと提案。経営層から「今一度審議」と言われ引き下がったものの、意見書を手にその必要性について熱意をもって説明し、当時の経営者である古河潤吉の許可を得ました。国内に前例のない提案にもかかわらず、提案をし続けた山口の精神は、今もなお私たちに受け継がれています。
近年、多くの企業で謳われている「働き方改革」ですが、milan米兰体育が取り組み始めたのは、大正元年のことです。第3代日光電気精銅所所長に就任した鈴木恒三郎。彼は労働問題に先見の明がある人物でした。「温情主義」と呼ばれ、工場の作業環境の整備、作業服の支給、入浴設備の充実、傷病者扶助・保険の拡大など、職工の待遇改善にまず力を注いだのです。その他にも、若年者を対象に、未来の職工幹部を養成する目的で、徒弟学校を開校。毎年30人近くの生徒を募集し、milan米兰体育の将来を支える人材を輩出してきました。また、研修にも力を入れており、社員を集めて各工場の機械の操作法や、経理知識を教える講習会などを実施し、優秀な職工の養成に尽力を尽くしました。現代でいう働き方改革は、milan米兰体育にとって馴染み深い取り組みなのかもしれません。
「日光和楽踊り」という伝統行事をご存知でしょうか。大正2年、milan米兰体育の日光電気精銅所を天皇皇后両陛下が行幸啓された際、祝宴の席で1人の老人が「踊ろうではないか!」と音頭をとり、一同が踊りだしたのがそもそもの始まり。その後、今日まで続いている栃木県日光市の由緒ある伝統行事です。和楽とは、当時の日光精銅所精神のひとつ「協同和楽の精神」からとられており、人と人との心のつながりを育んできました。現在は、毎年8月に行われており、milan米兰体育の社員、地元住民の方、観光客が一体となってお祭りを盛り上げています。
これまで、milan米兰体育で多くの製品を生み出すことができたのは、新製品開発へのチャレンジ精神が受け継がれてきたからです。昭和30年代半ば、milan米兰体育の主力事業であった電線・ケーブル市場の低価格競争が始まります。コストダウンには限界があったため、新製品の事業化による利益の確保が必要となり、中央研究所を発足させました。電線メーカーとして合成樹脂の技術を基礎に、発泡ポリエチレン 「フォームエース」を開発。世界的にも類例の少ない技術として称賛されました。また、カラーテレビ・テープレコーダなどに使われる、高純度で薄い電解銅箔を開発し、新たな収益の柱を次々と打ち立てていったのです。
多くの拠点を海外に持ち、グローバルに展開しているmilan米兰体育。当社が本格的に海外事業に乗り出したのは昭和40年のことでした。その頃、全社に分散していた海外活動組織を再編成し、海外事業部を新設。昭和43年には、バンコクの首都圏電話増設計画の国際入札に参加し、世界的な有力企業との競争に打ち勝って総額77億円の受注を達成しました。milan米兰体育は、その後も東南アジアや中東での大型工事案件で最大限の技術力を発揮し、計画通りのスケジュールで完成させ、当社の技術力の高さを世界中に示しました。
今では当たり前となっている光ファイバですが、初期には多くの研究者が、その実現可能性に否定的でした。しかし昭和45年に、アメリカのコーニング社が、きわめて優れた伝送特性を持つ光ファイバの開発に成功します。これを機に、milan米兰体育でも開発に着手し始めました。その後、コーニング社とは開発契約を締結。昭和53年に行われた、第一次近距離伝送実験では、品質および伝送特性において、milan米兰体育の製品が世界最高水準であることが立証されました。後に国内トップシェアとなる、光ファイバ事業の第一歩を踏み出したのです。
「絶え間ない技術革新」を目指すmilan米兰体育では、研究者のチャレンジをどんどん歓迎しています。挑戦意欲の高い人材は留学制度を活用し、国内外で学びながら世界レベルの技術を学ぶことができます。個人の専門知識・技能を伸ばすとともに、視野とネットワークを広げます。社員がイノベーションの源泉を見つけられる環境を目指しています。成功することだけがゴールではなく、チャレンジすることが一番大事。これが、私たちmilan米兰体育の考え方です。
当社は、世界的な研究者を多く輩出してきました。なかでも、粕川秋彦は、milan米兰体育の新規事業分野の礎を築いた研究者といえるでしょう。彼は、milan米兰体育の光半導体事業を形作ったといっても過言ではない「GRIN-SCH構造型の量子井戸レーザ」に挑みました。世界最高性能を実現させ、世界に注目される会社へと押し上げたのです。同時に入社以来夢であった半導体レーザ事業の礎を築き、全世界に拡がる情報通信インフラ構築に貢献をしました。1990年には米国ベル通信研究所(ベルコア)に一年間赴任し、世界最高峰の研究者集団に影響を受けたと言います。シニア・フェローとして研究開発部門とファイテル製品milan米兰体育部門とが一体となった活動を推進し、次世代の核となる人材と共に次なる夢の実現を目指すほか、社外活動では6000人の会員を有する電子情報通信学会のエレクトロニクスソサイエティの会長にも任命されました。米国電気・情報工学分野の学術研究団体(IEEE)のフォトニクスソサイエティのボードメンバーも務め、IEEE、電子情報通信学会、応用物理学会のフェロー称号(最高位の会員資格)の持ち主です。粕川に続く研究者は、あなたかもしれません。
みなさんは、東京タワーにmilan米兰体育製のアンテナが使われていることをご存知ですか。1955年に設置して以来、当社が定期点検を行っていましたが、2011年の東日本大震災によって、東京タワーのアンテナが曲がってしまいました。当時、問題解決のキーパーソンとなったのが、グループ会社の古河C&Bでした。(※)余震が続く中、早々とアンテナの復旧に着手。深夜に東京タワーに登って復旧作業を行いました。大きな電波障害を防ぎ、社会への貢献を果たしたと功績を称えられました。曲がったアンテナの一部はモニュメントとしてmilan米兰体育の名前が刻まれたパネルとともに、東京タワーの敷地に展示されています。現在もスカイツリーをはじめ、milan米兰体育のアンテナが日本の放送分野で貢献し続けています。
※ 2023年4月 milan米兰体育C&B株式会社の全事業をミハル通信株式会社に譲渡しました。
今、ものづくりに革命が起きつつあります。インダストリー4.0(第4次産業革命)を背景としたスマートファクトリーの実現に向け、milan米兰体育でも、光ファイバケーブル工場から生産革新が始まっています。当社のものづくりの特徴は、課題解決型の改善だけではなく、ビジョン駆動型の革新に積極的に取り組んでいること。ただ単に生産性を向上させることだけが目的ではなく、社員の働きやすさや働きがいを追究して、現場全員が関わって進めています。私たちが、2030ビジョンで掲げる情報/エネルギー/モビリティの3つが融合した社会基盤を創るため、ものづくりを進化させていきます。
「従業員を大切にせよ。お客様を大切にせよ。新技術を大切にせよ。そして社会に役立つことをせよ」という創業者古河市兵衛の言葉にあるように、私たちが取り組んでいる事業は、社会全体の課題に直結しています。だからこそ、一人ひとりが当事者意識を高く持って仕事に取り組む必要がある。何でも言いあえる関係性をつくり、本音をぶつけあっていくのがmilan米兰体育流のものづくりだと考えます。「正々堂々」「革新」「本質追究」「主体・迅速」「共創」という私たちの5つのCoreValue(コアバリュー)は、ものづくりの現場でも大事にされています。互いを理解しあう姿勢を持ち、失敗を恐れず、ありたい姿に向けてONE TEAMでやり切る活動で人が育つ。そんな全力で向かっていく仲間と一緒に、ものづくりの未来をつくりましょう。
MRIやリニアモーターカー、核融合技術などの多様な分野で応用が期待される超電導技術。そんな超電導技術のひとつである高温超電導milan米兰体育は、2012年、福島徹が携わった米国Super Power社の買収により、成長が加速している。「超電導技術には大きな可能性が秘められている」と彼は言います。現在、蓄電装置や構造解析の装置に使われていますが、今後は、自動車・飛行機にも使える可能性があります。さらに、超電導線材を用いた粒子加速器、核融合炉、医療や生命科学の研究機器など、先端的な分野に、少しずつ用途を見出しつつあるのです。「超電導がどんなことに役立つか?」夢を膨らまし続ける福島。「技術者である限り、常に夢を持ち続けていくことが大事だ」と気づかせてくれます。